朝6時半、スマホのアラームが鳴る。スヌーズを3回繰り返して、ようやく7時に身体を起こす。
顔を洗い、髪を整え、服を選んで家を出る。駅へ向かう足取りの先には、今日も“社会”
10時からの労働に向けて、7時から9時までは、すでに“仕事の準備時間”。コーヒーを飲んでいても、電車に揺られていても、心はもう“
10時。業務開始。気を張りながら、ミスのないように、
12時。ようやく昼休み——のはずが、上司の目がある職場では、昼食ですら“待機モード”のまま。リラックスするふりをしながら、
13時から17時は再び、本格的な仕事。数字、報告、空気の読み合い。
でも、それで終わりじゃない。混み合った帰りの電車に揺られて、ようやく玄関のドアノブに手をかけるのは19時前後。
ここから、「わたし」に戻るスイッチを探す。着替え、手を洗い、深呼吸して、ようやく通勤モードを解除する。ようやく訪れる、「わたしの時間」。
——それは、たったの4時間だけ。
Netflixの続きを観ようか。描きかけの絵に筆を入れようか。なんでもない会話で、ちょっと笑おうか。
23時になれば、そろそろ寝る準備。0時には、もう眠らなければいけない。
自分の意志で選べる時間は、たったの4時間しかない。
でも、その4時間こそが、
「わたしがわたしでいられる時間」だ。
だから、残したくなる。ほんの少しでも、自分のための色を。
昔流行った栄養ドリンクのCMじゃないけど、「24時間戦えますか?」という問いに
「この4時間だけは“自分のために”戦います」って、ちゃんと答えたい。
だから、今日も19時を待っている。