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苦労しても稼げないのが資本主義
「こんなに頑張っているのに、生活が楽にならない」
疲れた体のまま家に帰って、給料明細を見て、静かにため息が出る。
気合いで踏ん張っても、家賃や食費や税金に吸い込まれて、手元に残るものが増えない。
この感覚は、あなたの努力が足りないからではない。
資本主義の世の中では、「どれだけあなたが苦労するか」と「どれだけ稼げるか」は、必ずしも結びつかないというシビアな事実がある。
頑張りの重さは、給料明細に載らない
苦労が報酬に直結しないとき、人は自分を責めやすい。
「自分が弱いのかな」「もっと耐えられる人がいるのかな」と、原因を自分の内側に探してしまう。
でも現実はもっと事務的だ。
資本主義が値札をつけるのは、苦労の量というより、利益・効率・仕組み・交渉力など、“資本にとって都合のいい成果”であることが多い。
苦労が否定されるのではない。
苦労に値札がつかないだけだ。
資本主義は「苦労の下請け構造」でできている
そもそも資本主義自体が、資本という主人が会社という組織を使って、「楽に仕事をするために」、我々労働者に苦労を“下請けに出している構造”になっている。
現場が大変になるほど、上流は楽になる。
そしてこの仕組みは、誰かが悪いというより、最初からそう動くように作られている。
「社員」は、きれいな言葉に包まれた役割
会社で働いている人間は「社員」と呼ばれているが、つまるところ資本のための「使用人」である。
資本によって任命された経営者と呼ばれる中層の使用人が、その仕事をさらに下層の「社員」と呼ばれる使用人に投げていく。
だから、しんどいことをやったからといって、必ずしも豊かにならない。
むしろ逆に、苦労を引き受けて回してくれる人ほど、組織にとって「都合がいい」存在になってしまうことがある。
誇りが消耗に変わる瞬間は、こうして生まれる。
「楽をする」と「幸せになる」は両立してしまう
しんどいことをしたからといって豊かにはなれない。
逆に「楽をしようとする」ことと「幸せになること」が両立してしまうので、本当は楽をすることを怖がる必要はない。
ここで言う「楽」は、怠けることではない。
苦労が前提の働き方から離れたり、負荷が雪だるま式に増える場所から距離を取ったり、仕組みや導線を変えたりすることだ。
「苦労=正しさ」だと信じている限り、資本主義はあなたの真面目さを、黙って燃料にしていく。
だからこそ、人生のどこかで、“苦労を減らす方向へ舵を切る許可”が必要になる。
参考図書:『インド人は悩まない』から学べること
この感覚を整理するのに役立ったのが、こちらの本です。

『インド人は悩まない 「考えすぎ」から解放される究極の合理思考』
著:インド麦茶/ダイヤモンド社
- 「考えすぎて動けない」をほどくための視点が得られる
- “自分を責める思考”から距離を取るヒントになる
- 「楽をする」ことを肯定する、異文化の合理性に触れられる
日本では、真面目さが美徳になりやすい。だからこそ、報われないと「自分が悪い」と結論づけてしまう。
でもこの本は、別の生存戦略を見せてくれる。悩みを“根性”で解決しようとする前に、思考の配線を変えてしまう感じだ。
まとめ:報われない苦労の中で、自分だけは自分を見捨てない
資本主義は、苦労に優しい仕組みではない。
だからこそ、苦労が報われないときに、自分を責めない練習が必要になる。
苦労してきたあなたが間違っていたのではなく、
苦労と報酬が結びつかない構造の中で、真面目に耐えてきただけだ。
