あの頃の私は、「医療には根拠がある。だから正しい」という前提を、疑うことなく信じていた。
19歳のころから、私はひきこもり生活に入った。きっかけは、不安と吐き気だった。理由もはっきりしないまま、じわじわと日常を侵食していくそれらの症状は、やがて外に出ること自体を難しくしていった。
病院に行けば、きっと治る。そう思っていた。
医療は科学であり、エビデンスに基づいている。だから間違いはない――そう信じていたからだ。
最初に処方されたのは、一般的な吐き気止めだった。しかし、どうもしっくりこない。効いている感じがしない。そこで次に進んだのが、抗不安薬や抗うつ薬といった、いわゆる「標準治療」だった。
医師の説明は理にかなっていた。不安が吐き気を引き起こしている可能性がある。だから神経系に作用する薬で整えていく。それは、頭では納得できるものだった。
けれど、現実は違った。
確かに、症状が一時的に軽くなることはあった。だが、完全に消えることはなかった。
ひきこもり特有の焦り――このままでいいのかという不安、社会から取り残されていく感覚。それらが積み重なると、決まって吐き気がやってくる。
「今日は一日、何も症状がなかった」
そんな日が、一度も訪れないまま、数年が過ぎた。
それでも私は、「医療が正しい」という前提を手放さなかった。
効かないのは自分のせいだと思っていた。薬が悪いのではなく、自分の状態が悪いのだと。
転機は、ある人からの紹介だった。
「フラワーエッセンスって知ってる?」
正直に言えば、最初は半信半疑だった。
聞いたこともないし、いかにも“科学的でないもの”に感じたからだ。
それでも、当時の私は行き詰まっていた。インターネットで調べてみると、肯定的な意見もあれば、「プラセボと大差ない」という評価もあった。エビデンスは、少なくとも医療のそれとは比べものにならないほど弱かった。
つまり、これまでの自分の価値観からすれば、「選ぶべきではないもの」だった。
それでも、試してみた。
理由は単純で、「もう他に手がなかった」からだ。
そして、結果は予想外だった。
あれほど続いていた不安と吐き気が、すっと軽くなった。
一時的ではなく、持続的に。
3か月が経つ頃には「症状のない一日」が、初めて訪れた。
それは、劇的という言葉が大げさではないほどの変化だった。
気づけば、薬を飲む必要がなくなっていた。
あれだけ頼っていたはずのものが、徐々に手元から消えていった。
ただ、その後に残ったのは、回復の喜びだけではなかった。
診察の場で、医師はこう言った。
「もともと、薬が必要な状態じゃなかったのかもしれませんね」
正直、腹が立った。
あれだけ「標準治療」として続けてきたものは何だったのか。
数年間、ほとんど改善が見られなかった現実はどう説明されるのか。
そして、医療以外の方法で改善した途端に、その前提がなかったことのように扱われる違和感。
もちろん、冷静に考えれば分かることもある。
フラワーエッセンスには、強固な科学的根拠があるとは言いがたい。プラセボ効果の可能性も否定できない。
けれど、それでもなお、私の中では一つの確信が残った。
「エビデンスがある=自分にとって常に正しい」ではない、ということだ。
医療は、多くの人にとって有効な方法を示してくれる。
それは確かに重要で、信頼すべき指針でもある。
ただ、それがすべてではない。
もし今、同じように「標準治療を受けているのに、効いていない」と感じている人がいるなら、私はこう伝えたい。
医師の言葉を疑え、ということではない。
ただ、「それだけが唯一の正解ではない」と、少しだけ余白を持ってほしい。
選択肢を広げることで、思いがけない方向から改善の糸口が見つかることもある。
遠回りだったのかもしれない。
けれどその遠回りがあったからこそ、私は「自分にとっての正しさ」を、自分で考えるようになったのだと思う。
