― 贅沢をしていない人たちが、静かに困っている社会 ―
東京都では、2024年に最低賃金が時給1,163円に引き上げられました。
一見、朗報に思えるこの数値ですが、実際にこの時給でフルタイム(1日8時間×月22日程度)働いている方の手取り月収はおよそ15万3千円前後にとどまります。
いま、この手取り額で生活している多くの人たちが、こう感じ始めています。
「頑張って働いているのに、何も贅沢をしていないのに、生活が苦しいのはなぜ?」
■ 節約は、すでに“限界まで”している
・食費は自炊中心、冷凍野菜や特売品を活用
・洋服はファストファッションかリユースショップ
・外食や旅行は、ここ何年もしていない
・通信費も格安SIMに変更し、サブスクは1つか2つに厳選
・エアコンや暖房も、光熱費が気になってなるべく我慢
これらは、“生活を切り詰めている人の特徴”ではなく、今や多くの人が当たり前に行っている日常の工夫です。
それでも、月末が近づくと生活必需品(洗剤、シャンプー、靴下、通勤用の傘など)を買うことさえためらうという声が増えています。
■ 見えにくい「ぎりぎりの暮らし」
たとえば、都内で月収15万3千円(最低賃金×フルタイムの手取り)を得ている人の生活をシミュレーションしてみると:
- 家賃:60,000円(23区外や築年数の古い物件)
- 食費:25,000円(1日あたり約830円)
- 光熱水費:12,000円(電気・ガス・水道)
- 通信費:1,000円(格安SIM、通話は最低限)
- 通勤・雑費:8,000円
- 医療・日用品・予備費:10,000円
合計:約116,000円
この残額から、急な医療費や冠婚葬祭費、スマホの故障、家電の買い替えなどに備えなければならないのです。
これは、「余裕がない」というより、“常に薄氷の上に立っている”ような状態です。
■ 生活保護との比較から見えること
現在、東京都区部で単身者が受けられる生活保護(生活扶助+住宅扶助)は、およそ13〜15万円台が目安です。
一方、最低賃金でフルタイム勤務した場合の手取りは15万3千円前後。
この2つは、金額的には大きな差があるように見えませんが、
- 生活保護では医療費が原則無料であるのに対し、労働者は原則3割の自己負担
- 昼食代や身だしなみなど、働くために必要な追加コストがかかる
- 働いているからこそ、体力や時間的余裕も削られる
結果として、働いている人のほうが生活の自由度が低くなるという逆転現象すら起きています。
■ 「努力が足りない」という誤解
こうした話をすると、時に「もっと頑張ればいい」「スキルを身につけて転職すれば?」という意見が返ってくることもあります。
もちろん、自己研鑽やキャリアアップは大切な選択肢です。
しかし、誰もが同じようにチャンスを得られるわけではありません。
家庭の事情、体調、年齢、過去の経験――それぞれに理由があって、今の働き方の人がたくさんいます。
むしろ大切なのは、「働くすべての人が暮らしを安心して送れる社会」ではないでしょうか。
■ 問い直したい、「生活に必要な額とは何か」
「生活に必要な額」とは、単に飢えず、凍えず、住む場所があればいいということではありません。
- 毎日を不安なく過ごすための、予備費
- 病気のときに無理をしなくていい医療アクセス
- 社会とつながるための通信や交通手段
- 自分自身の心身を整えるための、最低限の余裕
これらを含んでこそ、「人間らしい生活」です。
■ 最低賃金は“最低の生活”を意味していいのか?
「働いても生活できない」と感じる人が増えている今、
私たちが見直すべきなのは、
- 最低賃金の水準そのもの
- 公的支援のあり方
- “努力が足りない”とされてしまう空気
ではないでしょうか。
誰もが裕福さを求めているのではなく、ただ安心して暮らしたいだけ。
そのシンプルな願いすら叶いにくい社会は、
きっと、誰にとっても生きづらいはずです。
どうかこの声が、「自分とは関係のない話」ではなく、社会全体で考えるべき問題として届きますように。。。
この問題、これと言って代案が見当たらないのですよね。。。労賃より高いからと生活保護を減らすことになっても本末転倒だし、最低賃金を急に上げるとこれまで3人でやっていた作業を2人でやることになってしまったり。
日本は空気も水もきれいで諸外国より治安もよりけれど、暮らすことを考えると食料の自給自足くらいしか改善策が思い当たらないところが辛いです。。。