「上司の圧が強い」
最近、若い会社員からそんな言葉を聞くことがある。しかし、そもそも「圧が強い」とはどういうことなのだろう。
大声で怒鳴ることだろうか。厳しいノルマを課すことだろうか。それとも、部下の意見を聞かず、一方的に指示することだろうか。
もちろん、それらも圧の一種だろう。だが、もっと見えにくい圧があるのではないか。
それは、仕事だけでなく、その仕事に対してどのような感情を示すべきかまで要求されることである。
そして、さらに厄介なのは、そうした圧をかける上司自身も、かつて同じような圧に耐えてきた可能性があることだ。
上司は部下を苦しめたいのではない。むしろ、自分が苦労して身につけた「社会人としての常識」を、親切心から教えているつもりなのかもしれない。そこに、この問題の根深さがある。
仕事をしただけでは、評価されない
例えば、上司から仕事を頼まれたとする。
部下は指示を理解し、期限を守り、正確に仕事を完成させた。本来なら、それで業務上の目的は達成されている。
ところが、こんなことを言われる場合がある。
「もっと素直に聞けないのか」
「嫌そうな顔をするな」
「もう少し前向きに取り組んでほしい」
「社会人なんだから、態度を考えなさい」
ここで問題にされているのは、成果物の品質だけではない。
指示されたときの表情や返事、仕事に取り組む姿勢、さらには内心の納得までが、評価の対象になっているように見える。
つまり、会社が求めているのは、単に仕事を遂行することではなく、その仕事を喜んで引き受けているように振る舞うことなのだ。
もちろん、社会人として最低限の礼節は必要である。しかし、礼節を守ることと、上司の考えに心から賛同することは違う。
納得できない指示でも、業務上必要なものなら適切に遂行することはできる。
それなのに、納得していないという感情まで問題にされるとしたら、会社は労働だけでなく、従業員の感情表現まで管理しようとしていることになる。
その疲労は「感情労働」から生まれているのかもしれない
社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、仕事上求められる感情の管理を「感情労働」として論じた。
典型的なのは接客業だ。腹が立っていても笑顔を作る。理不尽な要求を受けても、丁寧な態度を維持する。
だが、感情労働を顧客対応だけの問題と考えるのは狭すぎる。職場の人間関係にも、似たような仕組みは存在する。
上司の冗談に笑う。納得できない指示にも明るく返事をする。不満があっても、それを表情に出さない。
本心とは違う感情を外側だけで演じることは、心理学では「表層演技」と呼ばれる。
2011年に発表された95研究のメタ分析では、表層演技や、本心と求められる感情との不一致が、心理的消耗などの悪い状態と関連することが示されている。
つまり、人は仕事量だけで疲れるわけではない。自分の感情を絶えず修正し、周囲が望む人物を演じることでも消耗する。
そして、その相手が日常的に自分を評価する上司であれば、感情を取り繕うことには、より大きな意味が生まれるかもしれない。
大学では主体性、会社では「許可された主体性」
学生時代と会社員生活の違いにも注目したい。
大学では、主体的に学ぶこと、自分で課題を見つけること、既存の考え方に疑問を持つことが奨励される場合がある。
ところが、企業に入ると、主体性には別の条件が加わる。
会社の方針を理解すること。組織の目標に合わせること。上司の承認を得ること。周囲との協調を乱さないこと。
もちろん、企業は共同で事業を行う場所なのだから、一定のルールや意思決定の仕組みは必要だ。
だが、会社が求める主体性が、実際には「会社が認めた範囲での主体性」になっている場合もある。
与えられた課題を工夫することは歓迎される。しかし、課題の設定自体に疑問を示すと、途端に扱いにくい部下と見なされる。
「主体性を持て」と言われながら、「勝手なことをするな」とも言われる。
若手社員にとっては、この境界線が見えにくい。しかも、評価されるのは意見の内容だけではない。
どのような表情で、どのような言葉遣いで、どのようなタイミングで発言したかまで問われる。
ここに「圧が強い」と感じる原因の一つがあるのではないだろうか。
報連相は情報伝達なのか、服従の作法なのか
社会人の基本として教えられる「報告・連絡・相談」。いわゆる報連相である。
その本来の目的は明確だ。必要な情報を共有し、仕事上の問題を解決すること。
ところが、実際にはさまざまな組織文化が上乗せされることがある。
例えば、業務の進捗はシステムで共有されているのに、わざわざ上司のところへ報告に行かなければならない。
自分で判断できる問題でも、先に上司の意向を確認することが求められる。相談の内容だけでなく、相談する順番や態度まで評価される。
もちろん、重要事項の承認や緊急時の連絡は必要である。
しかし、必要な情報を伝える能力と、上司の期待を察して振る舞う能力は別物だ。
それなのに両者を一括して「報連相ができるか」で評価すると、何が必要な能力で、何が組織固有の慣行なのかが見えなくなる。
そして、従業員がその慣行に疑問を持つことすら、協調性の欠如として扱われることがある。
上司自身も、かつて圧に耐えていた
ここで、視点を上司の側に移してみよう。
圧の強い上司は、なぜ若手社員にも同じような態度を求めるのだろうか。一つの可能性は、上司自身も若いころに同じ経験をしてきたことだ。
「昔の上司はもっと厳しかった」
「自分たちの時代は、こんなことで文句を言わなかった」
「最初は理不尽でも、我慢しているうちに社会人として成長するものだ」
こうした言葉には、一種の成功体験が含まれている。
自分は苦労に耐えた。その結果、会社で一定の評価を得ることができた。だから、あの苦労には意味があったはずだ。そして、若手にも同じ経験が必要だと考える。
ここで、自分が苦労して成長したことと、成長するためにその苦労が必要だったことが混同される。
この二つは、まったく別の話である。
例えば、昔は手作業で何時間もかけていた仕事が、今ではコンピューターで数分で終わる。そのとき、わざわざ昔と同じ苦労をする必要はない。
仕事の目的が達成できるなら、負担の少ない方法を選ぶのが合理的だ。人材育成も同じではないだろうか。
かつて上司の機嫌を読み、理不尽な指示にも耐えながら仕事を覚えたとしても、次の世代に同じ苦労をさせる必要はないはずだ。
苦労のバトンが、世代を超えて受け継がれる
職場における威圧的な行動が、組織の階層を通じて伝わることを示した研究もある。
2012年に発表された「虐待的な監督行動のトリクルダウン・モデル」では、上位管理職の威圧的な行動が、その下の管理職の行動と関連し、さらに職場の従業員の行動にも波及することが示された。
もちろん、かつて厳しい上司の下で働いた人が、必ず同じような上司になるわけではない。苦労した経験から、むしろ部下には同じ思いをさせまいと考える人もいる。
それでも、職場文化が世代を超えて引き継がれる可能性はある。
そして、ここで考えたいのが、上司の善意である。
上司は、自分が受けた指導を理不尽なものだとは考えていないかもしれない。むしろ、必要な教育だったと認識している。だから若手に対しても、同じことを繰り返す。
本人は教育しているつもりなのに、受け取る側には圧力として伝わる。
かつて自分が耐えてきた苦労が、次の世代にも耐えるべき苦労として渡される。これが「苦労のバトン」である。
そして、もし上司が自分の苦労を無意味だったと認めたくないのだとすれば、このバトンを手放すことには心理的な抵抗もあるだろう。
ただし、これは上司の心理を説明するための仮説であり、すべての管理職に当てはまるわけではない。
仕事の成果に「素直さ」という評価が混ざると
もう一つ問題になるのが、人事評価である。
例えば、同じ品質の仕事を完成させた二人がいたとする。一人は上司の指示を素直に受け入れ、明るく振る舞う。
もう一人は、指示の非効率さを指摘し、改善案を提案する。
後者のほうが結果的に会社へ貢献していたとしても、「扱いにくい」「協調性がない」と評価される可能性がある。
もちろん、提案の仕方が攻撃的だったり、周囲の仕事を妨げたりすれば、その行動が問題になるのは当然だ。
だが、単に上司と考えが違うという理由で低い評価を受けるなら、成果物の評価に服従性が入り込んでいることになる。
さらに、その評価が給与や昇進、雇用継続に影響するならどうだろう。
従業員は生活費を給与から賄っている。上司との関係が悪化すれば、生活そのものが不安定になる可能性がある。
すると、本人は不合理だと思っていても、不満を抑え、納得したように振る舞うことを選びやすくなる。
ここでは、経済的な依存が感情労働を断りにくくしている。
一つの会社からの給与だけで生活していることは、システム工学でいう「単一障害点(SPOF)」にも似ている。
給与が途絶えることの影響が大きいほど、その会社の要求を拒否するコストも高くなる。
圧力は、上司の声の大きさだけで生まれるわけではない。生活を握られているという感覚そのものが、見えない圧になることもある。
「圧が強い上司」は、すべてパワハラなのか
ここは冷静に区別する必要がある。
上司の指示が厳しいからといって、それだけでパワーハラスメントになるわけではない。
厚生労働省は、職場のパワハラについて、優越的な関係を背景とすること、業務上必要かつ相当な範囲を超えること、就業環境が害されること、という三つの要素を示している。
必要な業務指導や、安全のための注意を行うことは、上司の責任でもある。また、部下にも他人を尊重して行動する責任はある。
重要なのは、業務上の必要性と、感情への過度な介入を区別することだ。
仕事を期限までに完成させるよう求めること。他人を侮辱しないよう注意すること。必要な情報を共有するよう指導すること。こうした要求には合理性がある。
しかし、常に明るく振る舞うこと、疑問を抱かずに賛同すること、上司に不満を感じないことまで求める必要があるのだろうか。
相手を尊重する行動は要求できても、相手を好きになる感情まで要求できるわけではない。
この違いを理解することが、健全な職場を考える出発点になる。
本当に部下を育てる上司は、苦労のバトンを渡さない
ここまで考えてきて、最後に一つの問いが残る。本当に優れた上司とは、どんな人なのだろう。
自分が受けてきた厳しい指導を、そのまま若手に再現できる人だろうか。それとも、自分の経験を振り返り、次の世代が同じ苦労をせずに成長できる方法を考えられる人だろうか。
例えば、以前は上司に何度も確認しなければならなかった仕事を、マニュアルや業務システムによって一人で進められるようにする。
以前は叱られながら覚えていた仕事を、適切な研修やフィードバックによって習得できるようにする。
以前は上司の機嫌を読まなければ相談できなかった職場を、疑問や異論を安心して伝えられる環境に変える。
これらは、仕事を甘くすることではない。仕事に必要のない負担を減らし、本来の成果に集中できるようにすることである。
自分が耐えた苦労を、後輩にも経験させる必要はない。
むしろ、あの苦労は本当に必要だったのかと疑問を持てることこそ、経験豊富な上司に期待したい姿勢ではないだろうか。
「圧が強い上司」という言葉の背景には、単なる世代間の価値観の違いだけでなく、感情労働や組織文化、経済的依存といった問題が隠れている。
そして、その構造に気づかないまま、善意の指導として同じことを繰り返すなら、職場の圧は次の世代にも残り続ける。
苦労を引き継がせることが教育なのではない。
自分たちが経験した無駄な苦労を、次の世代には引き継がせないこと。
それこそが、本当に価値のある経験の継承なのかもしれない。
参考文献・資料
- Arlie Russell Hochschild(1983)The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling
- Hülsheger, U. R. & Schewe, A. F.(2011)On the Costs and Benefits of Emotional Labor: A Meta-Analysis of Three Decades of Research
- Mawritz, M. B. ほか(2012)A Trickle-Down Model of Abusive Supervision
- 厚生労働省「あかるい職場応援団」パワーハラスメントとは
※本記事は社会学・組織心理学の研究を参考にした考察です。感情労働の負担や威圧的な管理行動の組織内波及には研究上の裏付けがありますが、「上司が自分の苦労を正当化するために若手へ同じ苦労を求める」という説明は、可能性を示した仮説です。
